Tuesday, 17 June 2025

On immanent time in characters 2003

  


 

文字に内在する時間性について


田中章男

 

  言語類型論で孤立語に分類されてきた漢語で使用される文字、すなわち漢字の生成と機能について、考察を試みる。

 漢字の初期の形態については、殷墟等で発見された甲骨文によって確認できるが、通常五期に区分される甲骨文の第1期において、甲骨文はすでに初期的な完成を示しており、漢字自体の原初的な形態を推測することは難しい。甲骨文を組み合わせた語彙および統辞についても、ほぼ初期的な完成を示している。ここで初期的な完成というのは、現代漢語による理解乃至推察が可能なことを意味する。 したがってここで述べる漢字の生成と機能は、甲骨文以降の副次的なものである。個々の甲骨文の字形形成の状況、すなわち解字的説明については、すでに多くの研究が蓄積されている。ここではそれらのうち、主に1990年代以降の業績を援用しながら、考察を進める。

 

一 漢字の生成

 漢字「育」の甲骨文を見ると、この字が、女性による出産時の状況を示していることは疑いえない。この甲骨文において、出産の状況は、3つの要素によって示される。第一に、両腕を胸前で交差させた女性が出産に臨む時の体形である。女性は前傾姿勢をとり、臀部を突き出し、膝をゆるやかに屈折している。第二に出産時に伴う破水の状況が、点線様の記号で示されている。第三に、この破水の中央部分か下部に新生児が頭部を下に向けて示されている。この甲骨文で図示された3要素によって、「育」の字が、女性による、出産時およびその直後の状況を示していることが明示される。

 漢字「言」の甲骨文を見ると、その字形がすでにその一期において、すでに相当程度の簡略化乃至は変形化を受けているために、これまでも解字的説明がさまざまに展開されたが、ここでは、中国考古学の成果を含めた近年の一解釈を示す。漢字「言」の形態は、その上部、中部および下部の三部分として、見ることが可能である。中国考古学の成果によれば、その上部は、殷の時代において、会議等の開催を示す、銅鐸様の鈴の内部につるされた鈴舌であるとされる。漢字「言」の中部は、鈴舌そのものを示す。漢字「言」の下部は、鈴の外部を示すものとされる。殷の時代においては、会議等の開催を知らせるときに、銅鐸様の鈴を打ち鳴らして関係者に知らせ、その会議の開催時には、その鈴をテーブルの上に逆さに置いたとされる。すなわち、形態的には鈴の本体が下に、鈴舌の部分が上になって置かれたとされる。これが「言」の字の甲骨文の字形となったとする。この解字によれば、「言」の甲骨文は、鈴による会議開催告示後の状況を示すものとすることができる。会議はことばによってなされる。したがって、逆さの鈴の象形化が、「言」の甲骨文となった。

 漢字「亘」の甲骨文を見ると、二本の水平な線の中に弓形の文様が示される。王国維は、つとにこの甲骨文を漢字「恒」と同定した。今はこの見解に従う。上下の二本は川の両岸であり、中央の弓形はその両岸を往来する舟とする。この解字によれば、「亘」あるいは「恒」は、同一の空間に恒常的に繰り返される渡船作業を示している。

 三つの漢字「育」「言」「亘」の甲骨文から、以下のことが帰納乃至推測される。

 第一に、漢字の祖形である甲骨文は、時間的経過を内在させることがある。すなわち、「育」においては、出産の開始から終了までであり、「言」おいては、会議の告示から開催中までであり、「亘」においては、渡船作業の継続である。

 第二に、漢字の祖形である甲骨文は、内在する時間的経過の途上でおこるさまざまな事象の一局面が複数にわたって図像化乃至暗示されることがある。すなわち、「育」のおいては、母体、破水、新生児であり、「言」においては、倒置された鈴がその前時間に継起した会議の告示の振鈴と、その後の会議開始によるテーブル等への安置を暗示する。「亘」においては、両岸と渡船の存在が渡船作業を示す。

 第三に、漢字の祖形である甲骨文は、事象の複数の局面を内在させることによって、複数の情報を伝達することがある。「育」においては、母体による出産、出産途上の状況、新生児の誕生等の情報が、一字によって同時に伝達される。「言」においては、会議の告示、会議の開始、会議で話し合われた内容等の情報が伝達され、「亘」においては、渡船作業、対岸への到達、作業の繰り返し、すなわち恒常性等の情報が伝達される。

 したがって以上のような漢字生成に関する帰納乃至推測から、次のような漢字の機能が導かれる。

 

二 漢字の機能

第一に、個々の漢字に内在する時間的局面は、その局面のもっとも特徴的な情報を伝達しようとする傾向が強い。「育」の字においては、出産時の状況は、母体の出産動作そのものがもっとも特徴的であるが、出産後は新生児の存在が特徴的となる。漢字一字が持つ文法的機能の多様さは、こうした甲骨文に内在する、時間性の幅とその特徴的事象の内容に起因する。

「育」においては、出産時の局面では、いわゆる「うむ」という動詞的局面が強調されるが、出産後は「新生児」といういわゆる名詞的局面が強調される。「言」においては、会議前には「告げ知らせる」局面が強調されるが、会議開催中および開催後は、多分に会議での「発言内容」の局面が強調されるであろう。「告げ知らせる」局面が、多分に動詞的であり、「発言内容」の局面では、多分に名詞的機能が優先されるであろう。

 第二は、二字以上の漢字が組み合わされたとき、個々の漢字は、自らに内在する、時間の枠組から、どれかひとつの時間的局面を特に強調して、他の漢字と関係を結ぼうとする。二局面以上を伝達しようとすることは、伝達の明瞭性を傷つけるからである。「育」の字について見るならば、「育女」では「女児を生む」ことであり、「育嬰」では「すでに生まれている子どもをそだてる」ことである。「育女」では「育」の字は、より多く「母体からの出産状況」にかかわり、「育嬰」ではより多く「すでに誕生した新生児」の情報にかかわるであろう。

 第三は、個々の漢字に内在する時間的局面はしばしば複数性を持つが、漢字を組み合わせるときにはその個々の漢字の局面選択の択一性が働くことによって、互いに優先された局面同士によって二つ以上の漢字が、ひとつのより複合的な局面を形成して、その複合局面の情報伝達の明瞭性を保持することができる。たとえば「恒言」という2字の組み合わせにおいては、「恒」は「恒常性」の局面を選択し、「言」は「発言する」という局面を選択する。

 それでは、個々の漢字が局面選択を行うとき、どのような漢字内の機能が働くのであろうか。また、優先された局面同士が提携するとき、どのような機能が漢字の外部に向かって提示されるのであろうか。

 

三 漢字機能の自己選択性

 二つ以上の漢字が組み合わされ、新たな複合的な一局面が形成される状況を、「恒言」について検討する。ところが、「言恒」という組み合わせにおいては、新たな一局面は形成されず、漢字それぞれが有する一局面が二つ連続すると見るのが一般である。このような違いはどうして起こるのであろうか。私はここにも、漢字に内在する時間性がかかわると判断する。

 漢字に内在する時間には比較的短時間のものから、長時間に及ぶものまで多様である。二つの時間が連続するとき、前の漢字の時間性が長時間であり、後ろの漢字が短時間であるとき、この二つの漢字は緊密に結びつき、新たな複合的一局面を形成しやすいが、この逆の場合、すなわち前字が短時間で、後字が長時間であるときは、この二つの漢字は新たな複合的局面を形成しにくく、それぞれの局面が独立的に連続する傾向を持つ。

 「恒言」において、「恒」は「永続的な長時間」を内在させるのに対し、「言」は一過的な短時間を内在させる。このように、長時間内在型の漢字と後続する短時間内在型の漢字は、新たな複合局面を形成するが、短時間型の漢字と後続する長時間型の漢字は複合局面を形成しにくい。したがって、「恒言」は一つの語となり、「言恒」は二つの語で一つの文となる。

 すなわち類型論で孤立語の属するとされる漢語においては、一切の語形変化的な現象を有しないために、しばしば、その文法的な構造、漢語においては特に語と語の切れ目とその文法的な機能が問題となってきたが、漢字に内在する時間性およびその組み合わせ時における局面選択性によって、新たな複合局面が形成されたか、個別局面の連続かが区別されるとするならば、漢語における語彙形成と統語構造に展望がひらけるものとなる。

 漢字に内在する自己選択性とは、後続する漢字に内在する時間が、自らの時間より短時間の場合は複合しようとし、自らの時間より長時間の場合は複合しないか、複合しにくい。

 時間性の長短については、その漢字、 特に甲骨文における準初期形態が示す抽象性、具象性、統合性、個別性等のクラス分けが検証される必要がある。したがって、漢字に内在する時間性の自己選択性は、一つの仮説である。

 

四 漢字に内在する意味

 一般に言語における語の認定、あるいは語の意味は、その重要さにもかかわらず、困難さが指摘されてきた。漢字一字を語と認定するかどうかはしばらく置くとしても、ここで漢字一字ずつに内在する意味をある程度、分析的に検討することは、特に甲骨文にさかのぼることによって、可能な面が開けてくる。甲骨文においては、設文解字と比定できるものについては、その解明が進んだが、殷代のみに出てくる固有名詞的なものについては、今後も解明に困難が伴うことと思われる。しかし、甲骨文を言語記号として、その記号の内容とその記号が示す時間とを点検することによって、現在通行する漢字との比定を超えたレベルで、文字に内在する文法的機能を分析する途が開かれるであろう。そのときもっとも有力な方法の一つが、時間性原理であると思われる。

                              2003年3月28日 白馬にて

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